超激辛非国民ブログ

1億回閲覧されても絶対にテレビには取り上げられないブログです。読むと所謂まともな日本人様は不愉快になります。

古典も教えない学校教育なんざまさに社畜養成所

 最近、マルクスなどの所謂古典といわれているものが大型書店で平積みにされていたり、古典研究をしている斎藤幸平などの学者の本がベストセラーになったりしているようだ。そして、内村鑑三の「人生、何を成したかよりどう生きるか」が復刊され少しずつ売れているという。

 これは、決して悪いことではなくむしろいいことだと思う。古典というのは、数百年更には数千年前から存在しているものであり、存在しているということは人類に本当に必要とされているものであるからだ。特に、これほどまでに先が見えない社会なら尚更先人に学びたくもなるだろう。

 

 ただ本来はこういったものは全ての人間が学ばなければいけないものなのだが、そうはなっていないのが残念なところである。

 というのも、義務教育のなかでは何一つ教えないからである。日本で古典と言えば大半の国民が源氏物語徒然草程度しか出てこないし、それだって内容よりもいとおかしを現代語にしろみたいなクイズしか問われない。こんなものせいぜい平安時代にタイムスリップしたときに使えるだけである。これでは、テストで高得点を取れば人生勝ち組になれると思っているものでなければ、なかなか本を読もうとは思わないだろう。

 

 しかしがら、肝心なのは書かれてある内容である。古典というのは、どんな時代にどんな国で誰に書かれようと、共通していることは人としての在り方や社会の在り方である。

 例えば、論語や聖書のような思想書はまさに人間として正しく生きるヒントが隠されているし、ソクラテスアリストテレスのような哲学者の言葉は、どんなものでも常に疑問を持ち何でも鵜呑みにするなということが書かれている。

 或いは、マルクスアダム・スミスケインズなどは経済と人間社会の在り方を、マックス・ウェーバーは国家権力は暴力装置であるということまで書いてある。

 特に、マルクス資本論なんて今まさに地球上で問題になっていることがそのまま書かれてある。

 例えば、深夜にまで労働時間を延長するのは労働の生き血を求める吸血鬼の渇きを鎮めるだけとか機械労働は労働者を疲弊させ、人間を機械の一部にするだけとか更には資本主義は、地球を資本家が自分の所有物と思い込み地球を破壊するということまで書いてある。

 まあ、こういったことを学校教育で教えてしまっては、政治家や資本家にとって都合がいい家畜は育たなくなることは明白である。何しろ、政治家や資本家は労働者が余計なことを考えてしまったら自分たちが儲けられなくなるからである。ましてや昨今、労働者は顧客満足だの自己成長だのという名目で自営業者並に考える使い捨て部品であることさえ要求される。マルクスがいうところの労働者は機械の一部という予言さえも超えている。なので、古典というのは学校教育にもっとも邪魔な学問なのであろう。そしてそれはまさに政治家や資本家にとっては成功しているといえるだろう。何せ、こんなコロ助(新型コロナ・ウィルス)禍ですら資本家と政治家はたんまりと儲けているのだから。しかしこれさえも、実はアメリカの思惑通りなことなどである。

 これは古典ではないが、まさにアメリカの思惑を端的に示している言葉を記しておこう。 

 猿(日本人)を「虚実の自由」という名の檻で、我々が飼うのだ。方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけでよい。そしてスポーツ・スクリーン・セックス(3S)を解放させる。これで真実から目を背けさせることができる。猿は我々の家畜だからだ。家畜が主人の我々のために貢献するのは当然のことである。そのために我々の財産でもある家畜の肉体は長寿にさせなければならない。(化学物質などで)病気にさせて、しかも生かし続けるのだ。これによって我々は収穫を得続けるだろう。これは戦勝国の権限でもある。

 終戦時のアメリカ大統領のトルーマンの言葉である。

 

 

  

武藤敬司のプロレスリングノア所属と秋山準DDT所属の意義

  先日のプロレスリングノア日本武道館での武藤対潮崎の死闘からいきなり武藤がノアに入団という驚きのニュースがプロレス界に走り、更に秋山準DDTに入団というまたしても驚きのニュースが入った。

 これは一体何を意味するのだろうか?

現在ノアはDDTとともにサイバーエージェントの傘下に入りながら団体を運営しており、経営を担っているのはDDT高木三四郎である。これはいずれも高木三四郎が描いたものではあるだろうが、おそらく両団体のこれからを支えていくレスラーたちにより多くの経験を積ませ、新日本プロレスとは完全な差別化を図っていく狙いがあるのではないだろうか?

 最近の新日は、煽りや演出や乱入ありきといったことが目立ち、さらに試合もスピードと見栄え重視な技の応酬が中心でじっくり見せる試合運びといったものがすくなくなってきているように思う。それが今のファンに受けるからと言われればそれまでだが、かつてのストロングスタイルプロレスや王道プロレスを見続けてきたファンからすればやはり違和感がある。今現在、ノアや全日を見ているファンは現在の新日にはないものを見ているのではないだろうか。私はそうである。

 そこでノアとDDTはかつての新日の強さの象徴であり、プロレス界最後の超大物である武藤に白羽の矢を立て、武藤にノアのレスラーに本当のプロレスの強さなどを教えさせて、DDTは馬場さんに直接教わった秋山を通じて王道プロレスを所属レスラーに覚えさせ、そして新日とは違うビジネススタイルで会社を発展させていこうとしているのではなかろうか。

 高木三四郎は、非常に頭がいい人間であることは間違いない。何しろ、DDTのようなわけのわからないコントみたいなプロレスを広げて、キャンプ場や本屋でプロレスという誰も考えなかったプロレスを世に出し、さらに現在新日のトップである飯伏幸太やかつての新日外国人のエースだったケニー・オメガを見出したのである。そして今も、サイバーエージェントを折り合いをつけてネット配信といった今の時代に合わせたメディア展開をしているのだから。

 ノアだってもしサイバーエージェント高木三四郎がなかったら、もうこの世にはなかったかもしれない。そうなれば三沢光晴小橋建太が命を懸けたものすら残らなくなってしまっていたのだ。それが今や11年ぶりに日本武道館で興業ができるほどにまでなったのだ。勿論、その中には潮崎や清宮や丸藤らの奮闘もあるし、特に潮崎は長年の低迷や侮辱に耐えながらも必死に己の信念を貫きやっとI am noahにまでなったのだ。

 

 ノアもDDTもこれからが新たな始まりである。中には罵倒する声もあるだろうが、そんなものには負けないで新日にはないものを提供し、猪木や馬場さんだけでなく強豪外国人やジャンボ鶴田や天龍や長州や藤波や闘魂三銃士や四天王が築きあげたプロレスの火を絶やさないでほしい。そして、武藤や秋山には90年代プロレスをまだまだみせてほしい。

 

 

 

プロレスリングNOAH2021年2/12日本武道館大会を考察する

昨日(2021年2月12日)、プロレスリングNOAHが11年ぶりにかつてのビッグマッチの聖地と言われた日本武道館で試合が行われた。
メインは、現在進行形のチャンピオンの潮崎豪とリビングレジェンドで58歳の武藤敬司GHCヘビー戦で、結果は30分近い死闘の末武藤が勝利した。
これだけ聞くと、潮崎が年寄りに負けるほど弱いチャンピオンなのかと思われてしまうが、長年プロレスを見ていれば、潮崎が弱いわけではなくむしろ武藤が桁外れの強さを持っていることは明白である。それは、58歳とは思えないほどの肉体を維持し、フランケンシュタイナーなど年齢的には明らかに厳しい技を難なく出せるほどの動きができていたからである。
プロレスラーというのは、他のスポーツや格闘技と違ってエンターテイメントに近いものなので高齢になっても病気や怪我をせず体が動けてお客さんを楽しませる技を出せれば何歳になってもできるものだか、それにしても武藤は別格である。何せ、同世代のレスラーは亡くなっていたり(橋本真也)、リタイアしていたり(蝶野正洋)なのにである。更に、他団体の同世代(三沢光晴川田利明小橋建太田上明)だってやはり亡くなっていたり引退していたりもする。
こう考えると、プロレスの神様は最後には武藤に奇跡をもたらしたと言ってもいいだろう。

この結果は、NOAHのみならずプロレス界全体に影響を少なからず与え、またファンにも衝撃を与えたのではないだろうか?
最近は、30歳代20歳代で体重も軽く名ばかりヘビー級なレスラーによる見映えの派手な技の応酬や、乱入や笑いの演出が持て囃されている中で、昔ながらの王道プロレスストロングスタイルプロレスの激闘がたしかにあり、それがお客に喜ばれていたのだ。そして、そんな試合が堂々と行われたプロレスリングNOAHに敬意を表したい。
さて、これからのNOAHだが、武藤がチャンピオンになり当然これからは武藤が狙われる立場になったが、武藤はスポット参戦になるので挑戦者選びも難しくなるだろう。本来はすぐにでも潮崎にリターンマッチをしてほしいところだが、潮崎も1年以上に渡ってコロナ禍の中で過酷な防衛戦を重ねてきたのでしばらくは休むであろう。そうなると、清宮か中嶋あたりが挑戦するかもしれないが、今なお昔と変わらない強さを誇る武藤に勝つのは極めて難しいだろう。しかし、武藤からタイトルを取り返すのは丸藤や杉浦ではダメなのだ。それでは潮崎や中嶋達が真のNOAHの中心にはなれない。武藤に勝たなければ意味はないのだ。生きる伝説を勝負でも内容でも越えなければNOAHに未来はない。

今の潮崎や中嶋や清宮ならそれができると思っている。あれだけ落ちぶれたNOAHを日本武道館大会ができるまで甦らせたのだから。これから、ますますNOAHが楽しみになってきた。

#武藤敬司 #プロレスリングノア #日本武道館
#潮崎豪


AIが発達しても労働者は変わらない

「人間はいずれ労働時間は短くなり、余暇をどう使うかを考えもて余すだろう。」
これは、経済学の父と称されるケインズが労働のオートメーション化を予想した未来像だが、残念ながらこの予想は見事に外れた。

ちょっと前なら人間が行っていたこと、例えば帳簿や文章の作成や駅の改札の切符切りなどはパソコンを使ったり機械の手を使えば時間短縮したり人がいらなくなったりして本来は労働時間は短くなるはずであり、それによって自分の時間が増えるはずである。
ところが、相変わらず労働者は長時間労働を強いられ、過労死や心神喪失といったことが後を絶たない。むしろ、機械の発達によって更に労働の内容が複雑化されてしまっただけである。

これは一体どういうことであろうか?
考えられることは、仕事が際限なく身に降りかかってきて、労働者が機械と同じ仕事量や質を要求されるようになったということであろうか?或いは、営業や企画などのノルマがより一段と過酷になってきたとも考えられる。いずれにせよ、人間の手間を省ける道具が逆に人間の首を絞めているだけの道具になってしまったということである。

そしてそれは、AIが発達しても今度はAIに振り回されるだけで人間の労働はAIに負けないくらい働けという状態になり、ますます人間の労働者は追い詰められていくだけではないのだろうか?
更に、AIの厄介なところは、命令系統がめちゃくちゃな指示を出してしまったら下手をすれば人間を助けるどころか人間に仇なす脅威となってしまうこともあるだろう。極端な話、原発や核ミサイルさえ躊躇なく爆発させたりその辺にミサイルを発射してしまうかもしれない。そのためにマンパワーと称して少しのミスも許されないゆとりがない24時間365日常に緊張状態を労働は要求され、より一層人間がAI以上な高度な煩雑な内容を安い給料でやらされるかもしれない。
パソコンやAIは本来は人間を助け、楽させるために造り出されたものなのに、労働が過酷になったら本末転倒などというものではない。AIによって人間が見えないものの何かによって奴隷にされるならAIなどない方がよい。
AIによって人間が労働から解放されるなど、何処の異次元の彼方の話であろうか。

追記 今回は仮面ライダーゼロワンの紹介です。これは、ヒューマギアと呼ばれるAIロボが人間をサポートする世界で起こる人間とAIとの戦いや共存共栄を問う内容です。

#AI #過労死 #長時間労働 #働き方改革

映画「パラサイト・半地下の家族」から見る富裕層や政治家と貧困層の乖離

パラサイト 半地下の家族(字幕版)

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 また菅義偉が国民を愚弄する発言をした。それは、コロ助(新型コロナウィルス)の給付金は出さない、生活保護を受けろというものであった。

 これだけでいかに政治家の感覚は大多数の市井とかけ離れているかが分かる。その他にも、国民に自粛を要請しながら自分らはステーキ屋や銀座の高級クラブで贅沢三昧をしたりとまさにやりたい放題である。或いは、庶民はコロ助に罹っても入院はおろかPCR検査すらまともに受けられないのに、自民党の政治家は簡単に入院ができたりする。

 その他にも、安倍政権時も西日本豪雨時に安倍晋三らは贅沢三昧をして遊び惚けていた。

 何故、これほどまでに政治家というのは市井の怒りを買うことだけは神の領域に達しているのだろうか?ヒントは韓国映画の「パラサイト・半地下の家族」にあった。

 

 パラサイト・半地下の家族とは、韓国の貧民家族が主人公でその家族があるきっかけで身分を偽りながらはったりをかまして富裕層の運転手や家庭教師となっていき生活の糧を得るというストーリーなのだが、その中に以下のようなセリフや演出がある。

 ある日に主人公の一家が住んでいるスラム街を豪雨が襲い、一家の住んでいたアパートの半地下の部屋が水浸しになり体育館での避難生活を余儀なくされた。そしてその後、運転手をやっていた一家のお父さんが富裕層の妻を車に乗せていた時にその妻が大雨のおかげで空気が綺麗だ、ということを言った。その時のお父さんの表情には怒りがこもっていた。

 更に、富裕層の息子の家庭教師をしていた主人公一家の娘に重大なことが起こったときも富裕層の主は家庭教師の心配をしないで自己保身のことしか考えてなかった。

 これを見て感じたことは、富裕層の世界には労働者や貧困層は存在していないということだと思った。富裕層にしてみれば労働者や貧困層など人間ではないということであろう。

 つまり、政治家というのは大半が何ら苦労したことがないビニールハウス育ちばかりでかつ富裕層の代弁者ばかりなので、労働者や貧困層が人間であるという常識すらないのだ。だから、生活保護受けろの他にも、カップラーメンが400円だのパートタイマーの月収が25万円などという発言をするのである。存在しないものを分かれというのがそもそも無理な話である。

 こういう連中は、日本の実態経済を描いた映画「万引き家族」でさえM78星雲よりも彼方にあるSFくらいにしか思わないのであろう。或いは自己責任と偉そうに罵倒するだけであろう。

 しかしながら、現在日本を支えているのはこういった働く貧困層なのである。本来なら、こういった人間こそが政治家にならないといけないのに市井の殆どは、立候補すらできない状況にある。立候補するには供託金以外にも煩雑極まりない事務手続きがあり、とても数人でできるものではない。その結果、金も時間を持て余している富裕層しか選挙に立候補できないのである。

 こんな連中が政治をやっていてはこれからはより一層な階層社会が待っているであろう。その前に日本死んでくれないかと本当に思ってしまう。

 

政治家は市井の生活をしろ

 新型コロナ・ウィルス(以下コロ助)のせいでまたしても緊急事態宣言(以下緊事宣言)が出されたが、相変わらず言っていることは、馬鹿の一つ覚えの如く不要不急の外出は控えろだの飲食店は早く看板しろだのテレワークしろだのしかない。どれ一つ取っても、市井の生活を把握しているとは思えないものばかりである。

 その中で特に酷いものは、飲食店の20時閉店の強要であろう。表面上は要請だが、従わなければ店名を晒すだの罰金云々(でんでんとは絶対に読まない)とぬかしている時点でもはや強制と変わらない。巨大資本の飲食店ですら閉店が相次いでいるのに、ぎりぎりの状態でやっている個人の居酒屋などはどうするんだ。20時からが稼ぎ時であろう。そんな状態が続いたら店主にホームレスになるか死ねと言うようなものだ。

 日本の労働環境が夕方5時に勤務終了が徹底されているなら20時閉店でもいいかもしれないが、コロ助でも殆どの労働者は残業ばかりやらされているんだよ。そしたら、飲食店に行く時間なんて20時以降になるに決まっているだろう。そんな簡単なことも分からないやつらが知ったかぶりして個人商店の経営に口出しするな。偉そうに口出しするなら数か月休業しても大丈夫なくらいの補償をしろ。休業要請と補償はセットというのは常識だろう。政治家は個人商店をそんなに潰して大資本それも外資のチェーン店だらけにして献金という名のドッグフードを漁りたいのか?

 

 それからテレワークだが、現在自宅で電話とパソコンだけでできる職種なんてどれだけあるんだ?少なくても私は一つも知らない。そんなもの、個人でやっている株やFXトレーダーしか知らない。

 例えば、政治家どもらが日々贅沢三昧をしている食事の調理や偉そうにふんぞり返っている高級車の運転は誰がしているんだ?電話やパソコンでロボットが作ったり運転しているのか?国会の赤絨毯の清掃は電話やパソコンで掃除機が勝手に動くのか?そんな簡単なことの想像すらつかないやつらが市井の生活など微塵も理解できないのは当たり前である。ましてや、コロ助で職場をクビになった非正規労働者の生活の苦しみなどM78星雲よりもかなたのものでしかないだろう。何せ、政治家は凶悪犯罪を犯しても議員報酬をきっちり満額貰えるのだからな。そのうえ、議員年金もたんまりもらっていかなることがあっても絶対に衣食住に困らないまさに上級国民の代名詞みたいなものだからな。

 政治家は給料安い、たとえば警備や介護やチェーン店などの低所得で心身ともにぼろぼろになる糞労働をさせたいよな。それくらいのことをしないと絶対に市井にあわせた政治などしないだろう。あるいは、毎月ぎりぎりの状態で経営している経団連どもらには絶対に経営できない個人の飲食店の経営をさせたい。それでも偉そうにテレワークだの20時閉店などぬかせるか?こんな三流国家など明日にでも死ね。

 

 

 

 

 

人類が作り出した怪物インターネットとの距離感

  インターネットが人類の生活に浸透して20年以上経つが、それによって人類はどれだけ道具に使われるようになったのだろうか?

 去年(2020年)だって、コロナウィルスやアメリカ大統領選でも出所がまるで分らないSNSのデマに多くの人間が踊らされたり、それだけならまだしもネットの誹謗中傷で人気女子プロレスラーが自殺したりとあってはならないことが次々と起こった。

 何故、テレビや既存の新聞や週刊誌といったメディアが衰退してネットに人間が支配されるようになったかというと、やはり手軽さであろう。

 新聞や週刊誌などの紙媒体の活字は読むにはそれなりに労力が必要で、読み続けているとそれなりに疲れるものである。一方、ネットはスマホの普及により、寝そべって部屋が暗くても見られるし不思議と疲れを感じないので時間さえも忘れてしまうことができる。しかも、新聞や雑誌は勿論ページや文字に終わりがあるしテレビはチャンネル数に限りがあるから終わりが見えるが、ネットやYouTubeは無数に情報やチャンネルがあるために際限なく見てしまう。もはや阿片のようなものである。きっと、阿片が出回った中国の清王朝の末期の国民もこんな感じだったのであろう。

 

 確かに、昨今のテレビは自民党や財界やアメリカの機嫌取りしかしないほどに腐敗堕落の極みに達しているが、だからといってネットの情報が優秀とは思えない。テレビはともかく新聞や週刊誌は少なくとも誰が記事を書いたのかがわかるし、何より責任の所在がはっきりしている。ところが、ネットは第三者によるチェックが全く入らないので完全に配信したもののやりたい放題である。それによって、一般知識で考えればあり得ないようなデマに簡単に踊らされて、更にそのデマが面白おかしく拡散されて全く関係ない人間の人生が狂ってしまうのである。

 SNSなどのメディアが人間を愚物化させたのか、もともとの人間のバカさ加減がSNSYouTubeによって表面化されたのかはわからないが、これほどメディアが人間を操るようになった現代社会ではメディアを完全に途絶する生活などできないであろう。

 そこでどうすればいいかというと、以下のように考えることが大事になる。

 まずは、SNSで罵倒されているもの、例えば植田まさしの4コマ漫画のいたずらレベルなことや芸能人の醜聞などは明らかに自分の人生とは関係ないと判断し、一切関わらないことである。チェーン店のバイトのいたずらなんてその会社の株主でもない限りは関係ない話である。そんなものを正義の味方月光仮面気取りで罵倒したところで人生に何ら足しになるわけではない。むしろ時間と労力の無駄遣いである。

 そして、アメリカ大統領選などの外国の選挙なんて日本国民には関係ない話である。アメリカの大統領など誰がなっても日本なんて気分次第で金を略奪できる打ち出の小づちでしかない。

 そんなものより、世界中の自然破壊や災害や貧困にもっと目を向けるべきである。こういう問題こそが確実に自分の人生や生活とは関わっているからである。

 では、これだけの情報過多の時代に踊らされず向き合うにはどうすればいいだろうか?

 やはり、古典などの書を読むのがいいように思う。古典というのは、過去の人類の英知の塊であり、何百年何千年と残っているのはそれだけの生きるヒントが書かれているからであろう。こうした干物の知識があれば玉石混淆とした世界でもぶれずに対応することができるであろう。

 追記 今日の本です。

 

人類が絶滅する6のシナリオ (河出文庫)

人類が絶滅する6のシナリオ (河出文庫)