超激辛非国民ブログ

1億回閲覧されても絶対にテレビには取り上げられないブログです。読むと所謂まともな日本人様は不愉快になります。

真のスター田村正和

 先日、俳優の田村正和さんがお亡くなりになりました。まずは、謹んでご冥福をお祈りいたします。

 田村正和さんといえば、私生活が謎に包まれていた最後の芸能人ではなかったのかとさえ思います。というのも、わかっていたことは昭和の時代劇スター阪東妻三郎の子どもであるということくらいで、それ以外のプライベートなことは明かされることはほとんどなかったです。昨今、SNSなどの発達やスポンサーの要望などで、プライベートを切り売りしなければならず、本来の芸で勝負できない下らないご時世で俳優業だけを真摯に努め、そして亡くなるまでそれを貫き通した姿はまさにスターと呼ぶに相応しかったです。

 それから、何十年もの俳優生活でその大半が主役というのも普通はいません。そんな人は、それこそ高倉健吉永小百合くらいでしょう。渡哲也や渡瀬恒彦加藤剛でさえ脇役はやってました。田村正和の代表作の古畑任三郎はもとより、ニューヨーク恋物語パパはニュースキャスターやうちの子にかぎってやパパとなっちゃんや美しい人などすべて主役です。

 そして、ドラマや映画や舞台の仕事以外はほとんどやらず、せいぜい徹子の部屋に出演したくらいで、安上がりな雛壇番組には全く出演しない徹底ぶりでしたね。

 昔の俳優はそれが当たり前で、だからこそ画面に出ているだけで周囲とは全く違った重みや存在感を醸し出し視聴者を引き付けてやまなかったのでしょう。今は、俳優がスポンサーの広告塔になってしまい、ただ商品せ売れればいいんだというようになり、その結果俳優がその辺にいそうな人間ばかりになってしまったのである。正直、今の若手俳優がその辺を歩いていても殆ど気が付かない。アメリカや中国の俳優は安易なバラエティ番組など出演しないで本業の演技だけで今でも勝負をしている。日本の芸能界が低レベルになるのも納得がいく。今、田村正和みたいな俳優がいても仕事などないのであろう。

 田村正和だけでなく、渡哲也や渡瀬恒彦などの本物の俳優がどんどん亡くなり、SNSなどで安易なプライベートの切り売りでスポンサーの機嫌取りをしてスポンサー本位な俳優もどきがしゃしゃり出るような芸能界がこの先繁栄し続けるとは思えない。そうして、日本から本物もエンターテイメントが廃れていくのは残念でならない。

 

 最後に、田村正和さん。いままで無数のドラマや映画で楽しませていただきありがとうございました。あの世でお兄さんの田村高廣さんと再会を楽しんでください。

 

田村正和 #古畑任三郎 #眠狂四郎 #松本清張 

 

 

 

自己啓発本なんて真に受ける=真の社畜の入り口

電車に乗っていて、やたらと目につくのが一目で自己啓発本とわかる広告であり、また大型書店に行っても平積みにされて目につくものはやはり自己啓発本が圧倒的に多い。
昔から中村天風などが書いていたような自己啓発本などはあったが、21世紀になってから毎日のように自己啓発本が出版されるようになったような気がする。そのペースは、英語本やダイエット本以上である。

何故、これ程までに自己啓発本が出版されるのか?勿論、出せば売れるからだが何故そこまで売れるのだろうか?そこまで、会社員が昔には求められなかったものが求められるようになったからとしか思えない。
確かに、終身雇用などはバブルとともに崩壊し、正社員といえども無能鬼畜蛆虫ゴキブリ糞馬鹿カスうんこちんこ強欲キチガイカネゴン腐った屍肉経営者の気分次第で追い出し部屋に無理やり叩き出されて退職届を書かされるようになり、そうならないためにより一層会社に尽くすためにスキルアップをしなければならないという強迫観念からそういった本が読まれるのだろう。

しかしながら、自己啓発本に書かれていることの殆んどは、実業家やスポーツ選手みたいに年収億単位の人間しかできないことばかりが書かれているだけである。しかも、内容など殆んどが何処かで見たことがあるようなものを少し言葉を変えているだけである。更に言うなら、人間であることを辞めろと言わんばかりのことさえ書いてある。年収億単位の人間ならば人間を辞めなければいけないだろうが、何でたかだか無能鬼畜蛆虫ゴキブリ糞馬鹿カスうんこちんこ強欲キチガイカネゴン腐った屍肉経営者や、或いは働きもしないで配当金もっと寄越せブヒブヒと喚き散らす意地汚い豚大株主の老後の安定のための使い捨ての部品の年収430万円の社畜が人間辞めなければいけないほど追い詰められなければいけないんだ?

私の職場でも、やたらと自己啓発本を読んで行動しろと言う管理職がいたが、その管理職はまさに社長真理教であり、会社のためなら喜んで死ぬことも辞さないという人であった。それでもその人は地方支社に叩き出された。

そもそも、会社員なんて自立して稼げないやつらがはした給料だけのために嫌々やらされるものであろう。スポーツ選手や実業家みたいなことができれば誰も会社員なんかやらない。試しに、その辺の会社員に2000億US$があったら会社にしがみつくか、と聞いてみればいい。因みに、2000億US$というのは、ジェフ・ベゾスやイーロンマスクの総資産と言われている。2000億US$どころか韓国ウォンでも会社なんて即効辞めるだろう。

無能鬼畜蛆虫ゴキブリ糞馬鹿カスうんこちんこ強欲キチガイカネゴン腐った屍肉経営者の文星で、従業員に経営者レベルの能力なんて強要するな。どうしても強要するなら、役員報酬寄越せ。何がプロフェッショナルな仕事だ。プロフェッショナルを安月給で使い捨てしてんじゃねーよ。部品にプロフェッショナル精神なんて求めるな。

最後に、今日のおすすめ本を紹介します。これは、仏教の観点から現代日本を鋭く批判し、人間の本来のあるべき姿を説いた内容です。一言で言うなら、怠けろ、いい加減になれ、空気なんて読むなという感じのことです。
仮に、従業員がそうなって困るのは経営者と株主だけで従業員にとっては暮らしやすい世界であることは間違いないです。

「狂い」のすすめ (集英社新書)

「狂い」のすすめ (集英社新書)

気にしない、気にしない (PHP文庫)

気にしない、気にしない (PHP文庫)

コロ助(新型コロナウィルス)は憲法改正のショックドクトリン

 本日、緊急事態宣言(以下緊事)の延長が発表されたが、それと並行して国民にとって大きな法案が右から左に受け流されようとしていることを把握している国民はどれ程いるだろうか?

 その大きな法案とは、憲法改正の際の国民投票法案の改正である。日本国憲法は、そう簡単に変えられないようにできているのだが、それには国民投票の手続きや改憲派や反対派の国民への宣伝の規制などを厳格に定められていなければならない。

 確かに、憲法とて永遠不滅のものではないので、憲法改正については議論しなければならないだろうが、国民がコロ助の脅威に晒されているときに行うものではない。これこそ不要不急の議論であろう。今は、一にも二にもコロ助対策や生活困窮者への支援をしなければならない時だ。

 それで、この国民投票の何が問題かというと、憲法改正が国会で可決され、国民投票になった時、投票率がどれくらいで投票が有効になるのか、また過半数の賛成票といっても総投票の過半数なのか全ての有権者数に対しての過半数なのかがあいまいなままである。例えば、有権者10で投票数が8としたら、普通の選挙なら5で可決だが、もし有権者全ての過半数なら5の賛成では否決となる。改憲派にとっては前者の方が都合がいいが、反対派には後者の方が都合がいい。

 続いての問題は、広告規制の上限がないということである。これは、投票数よりも危険である。何故なら、資金力がある自民党公明党などはあらゆるメディアを使い有名芸能人などに憲法改正すれば日本はこの世の楽園になるという宣伝をいくらでもできるからである。普通なら、憲法のような国民生活に最も大事な憲法改正をメディアの言うことを鵜呑みにするなんてあり得ないが、自分で政治を考えることすらできないほど働かされ、今腹を満たすことしか考えられないほど貧困に喘いでいる国民が改正憲法が自分にどう関係するかなんて考えることなどできるとは思えない。そうして、政治家に言われるままに憲法改正に賛成してしまうのである。自民党はそこまで計算ずくであろう。

 

 ついこの間まで、憲法改正には反対が多かったのに、今月の憲法改正アンケートでは賛成が48%で反対が31%(毎日新聞調査)になっていた。

 なぜこんな結果になったのだろうか?これは、この一年間、毎日コロ助コロ助の報道で国民が疲弊していてただでさえ思考力がない日本人がより一層メディアを鵜呑みにするようになったからとしか思えない。

 最近は、コロ助を抑えられないのは現憲法のせいだ、などという普通なら誰も信じないようなことですら信じられてしまっているので、憲法改正賛成が反対派を上回ってしまったのだろう。

 このように、通常ならあり得ないことがとんでもない出来事のせいで罷り通ってしまうのをショックドクトリン(和名・惨事便乗型資本主義)というのだが、コロ助憲法改正へのカウントダウンが始まってしまったことはまさにショックドクトリンの典型といえるだろう。

 このままコロ助がますます肥大化すれば、憲法改正どころか緊事の名のもとにあらゆる国民の権利が国家権力に奪われるであろう。

 

憲法改正 #国民投票法改正案 #日本国憲法 

 

 

 

たかだか小学生YouTuberの登校拒否がそんなに気になるのか?

何日か前から、ゆたんぽだかゆたぼんだかわからない小学生のYouTuberが中学校に行く行かないでネット上では話題になっているようだが、所詮は見知らぬ赤の他人ではないか。しかも、ゆたぼんなんてSNSもネットも大してやらない人間は全く知らないし、世間への影響力など殆んどないただの未成年である。そんな人間が中学校へ行こうが行くまいが第三者には何一つ影響などない。
しかしながら、一部の芸能人がわざわざしゃしゃり出てきて偉そうに説教たれたり同調したりとある意味ちやほやしているし、ネットばかりやっている人間は誹謗中傷をしていたりする。
しかしながら、そういったこともゆたぼんというよりは寄生虫親父や仕掛人にとっては願ったりかなったりであろう。YouTubeのチャンネル登録者数やPV数が増えればそれだけ広告費という金が入るのだから。

それでも、このゆたぼんがグレタ・トゥンベリさんみたいに今だけ金だけ自分だけの金の亡者の資本家を批判したり、あるいはウィグル族に限らず世界中の少数民族への弾圧などに声をあげるという社会的意義をもたらす活動をしているのならまだしも、やっていることはただの子どもの遊びである。そんなもの、誰も見向きもしなければよいのに、わざわざ相手にするなどはっきり言って無駄な労力である。そんな子どもの遊びに踊らされる時点で己れの馬鹿さ加減を知るべきであろう。

まあ、このゆたぼんも金儲けをしようとする糞馬鹿な大人に担ぎ上げられていい気になっているのは確かであろう。これは本人ばかりが悪いとは言えないし、むしろ気の毒なところもある。こんな誹謗中傷商法などいつまでできるわけがないし、金にならなくなって、本当にだれからも相手にされなくなったときのことは考えた方がよいかもしれないことは確かである。
ただ、あの寄生虫馬鹿親父がそこまで考えているのかといったら、考えてないだろう。そもそも考えていたら、芸能人でもない息子を晒し者にしないだろう。こういう親父も今風に言えば毒親なのだろう。

#YouTuber #ゆたぼん #登校拒否 #中学校 #卒業証書

コロ助(新型コロナ・ウィルス)は終息するわけがない

相も変わらずメディアは馬鹿の一つ覚えの如くコロ助感染者が何千人何百人だのと言って国民を不安にし、また国民も相変わらず毎日毎日コロ助怖い怖いと騒いでいるようだ。
しかしながら、コロ助は終息などするわけがないのだ。その方が権力者にとっては都合がいいからだ。
大衆というのは、災害やテロなどのような天災や人災などが起こると不安になり、不安になるとどういうわけか思考停止に陥る傾向がある。その中で権力者は普通なら世論から猛反対に合うような人権を縛るような法律や増税をも右から左へ受け流してしまう。特に、日本ではその傾向が一段と強い。戦時中の治安維持法国家総動員法がまさにそうである。

そして、元々僕ちゃんに耳障りがいいニュースだけはマスコミを全く疑わない日本人はすっかり思考停止状態なので、権力者にとってはこれほどいいときはないだろう。どんなに人権を蹂躙するような法案さえもコロ助のせいにしてしまえば大多数の国民が納得してしまうからである。下手したら、今年には必ずなくてはならない衆院選ですら、緊急事態宣言を出して選挙を行わないこともあり得る。それでも今の国民なら納得してしまうだろう。連日のコロ助怖い怖い病を見ていると、そうとしか思えなくなる。

それにしても、つくづく自民党は強運である。2011年の東日本大震災原発事故では与党でなかったから批判を受けることなくマスコミを飼い慣らして全て当時与党だった民主党に擦り付け、更にこれ以上ないほどの民主党ネガティブキャンペーンを世論に広め、与党に返り咲いてからは社会保障の削減や消費税以外の増税などもありすっかり国民の生活が疲弊したころにコロ助騒動である。そして、コロ助に対して何ら有効策も打てず、個人商店の飲食店や非正規労働者が生活困窮しても放ったらかしにしても、全て自己責任にして申し訳程度な給付金しか出さなくても一定の支持率を保っているのだから、自民党はつくづく気楽な稼業ときたもんだ。先ほどは、衆院選ややらないと書いたが、やる可能性の方が高いと思う。今なら自民党単独過半数どころか圧勝するからである。そうして、またコロ助を利用した増税社会保障の削減でますます市井の生活は困窮していくだろう。
#新型コロナ・ウィルス #緊急事態宣言 #自民党
#人権蹂躙

札幌地裁は人殺し

今日(2021年3月29日)、札幌地裁は生活保護費の引き下げの抗議を棄却する判決を出した。
この間、同性婚憲法違反ではないという画期的な判決を出して感心したと思ったら、あっさり手のひらを返したかのような判決である。しかも、棄却の理由が国家財政の悪化が原因だという。

生活保護というのは、憲法25条の健康で文化的な最低限度の生活の保障に基づいた社会保障であるのにそれを引き下げるというのは国家権力が国民を棄民することに等しい行為である。
こんな棄民同然なことに何ら疑問ももたずに国家権力の暴力を後押しするような司法などもはや市井(しいとは絶対に読まない)の敵も同然である。司法がイカれた政治にノーを突き付けなければ誰がノーを突き付けるのか。そんなことまで国民がやらなければならないのか。だとしたら、行政裁判など必要ない。どうせ、政治や官僚の馬鹿犬っころ判決しか出さないのだから。

憲政の神様と称された尾崎行雄が、失業救済というようなことは、現在の役人には出来ないと思う。役人は学校で机の上で書物を読んで、そうして役所に入って人民の租税で生きておる人間であるから、実世間のことは何も知らない、と言っていたが、生活保護費の引き下げなどまさにこの典型である。
だから、政治家も役人も裁判官も、生活保護費で生活なんて一秒もやったことがないから、こんな人殺しを平気でできるのである。
こういう権力者やそれに尻尾を振って生活保護受給者を偉そうに罵倒する奴らに生活保護費だけで生活をさせてやりたい。

#札幌地裁 #生活保護費 #生活保護費引き下げ反対

うっせえわを考察する

 最近、うっせえわという歌が話題になっている。歌の内容は、会社員の不平不満に対する怒りをぶつけている(例えば、経済動向のチェックは通勤時に把握しろとか酒の席ではお酌や会計は率先しろといったことだが)というものである。歌っているのがadoという女子高生であり作詞作曲者が20代の男性だという。

 ここでまず疑問に思ったのが、実際にこの歌に共感しているのがどれ位の年齢層や職業の人間なのかということである。

 最近のヒット曲の基準はネット動画の再生回数やダウンロード数であり、音楽シーンもネットの方を重視してCDといったものは軽視されている。ただ、動画再生だと金をかけずに無数に聞けるのでいくら数千万回再生されてもそれが多くの人間に聞かれているかどうかはわからないし、最近は歌番組も殆どないし、人気アニメや映画の主題歌に使われているわけでもないので誰でも意識しないでどこかで聞く状況というのはあまりないだろう。

 そうなると、日頃からネット漬けになっている人間が再生しまくって無理無理再生回数を伸ばしているとしか考えられない。

 私も会社員を長年やっているが、この歌の内容よりも会社員がいかに社畜であるかなど知っているつもりだし、曲を作った人は会社員というものをそこまで知らないうちにこの詞を書いたのであろう。つまり、うっせえわはリアルな会社員からは共感はされていないのではないかと思われる。動画を見るなら無料だから1度は見たかもしれないが、それだけである。第一世間知らずな女子高生に会社員を代弁されたくはないだろう。たとえado自身で曲をつくってないとはいえ。

 それに、いくら現代がネットの時代とは言え、ブームを仕掛ける構造は変わっていないようだ。ただ、消費者に見せる仕掛けをちょっと変えるだけであっという間に広がってしまう。差し詰め今なら、YouTubeTwitterなどに今はこれが流行っている云々(でんでんとは絶対に読まない)として芸能人などに宣伝をさせればいいのである。そして動画の再生回数を増やして止めにテレビのワイドショーで動画の再生回数がやれ1億突破だのSNSのフォロワー数が何百万人といって消費者を洗脳するやり方である。

 これは、うっせえわに限らず鬼滅の刃ヱヴァンゲリヲンでも同じようなものだろう。

 それにしても、うっせえわは歌詞の内容はただの会社員の不平不満だが、adoの歌い方や動画のイラストがとにかく毒々しい感じがする。別にそれが悪いとは言わないが、このような歌がヒットするというのはそれだけ社会がギスギスしているのであろう。

 会社員の不平不満を歌にするのは大昔からあるが、昔はクレージーキャッツのスーダラ節やはい、それまでよとか日本一の無責任男などみたいにどこか享楽的なものがあった。享楽的な歌より、攻撃的な歌が流行るというのは、どこか空恐ろしさを感じるのは私だけか。

 最後に、会社員の不平不満を書くなら、サービス残業や過酷なノルマや過労死や現場で起こる粉飾決算や偽造表示に対する経営者の僕ちゃん知らないや正社員と非正規雇用者の奴隷の鎖自慢や行き過ぎの顧客満足主義や給料は減ってやらされることだけ増やされるといった実態をもっと書いてほしかったというのが私がうっせえわを聞いた正直な感想である。まあ、それを書いたら誰もブームを仕掛けないか。


【Ado】うっせぇわ

 

クレイジー・キャッツ ベストコレクション

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