超激辛非国民ブログ

1億回閲覧されても絶対にテレビには取り上げられないブログです。読むと所謂まともな日本人様は不愉快になります。

スマホという名の阿片

 スマートフォンが普及して10年くらいは経つだろうか。その間に人間の仕草がとんでもなく変わった。それは、片手にスマホを持ち頭を下に向けていることだ。例えば、電車の中も20世紀は夜は大抵はタブロイド紙東スポや週刊大衆などのエロ記事をこれ見よがしに広げている中年男性が数多くいたが、現在はほぼスマホをいじっており週刊誌などを読んでいる人間など皆無に等しい。

 

確かに、新聞や週刊誌は場所も取るしじっくりとは読めないがスマホは手のひらで眺められるからスマホになるのはわかる。それに何よりスポーツ新聞やゴシップ詩も読むのはそれなりに頭の労力は使うものだ。その点スマホは、ゲームやTwitterなどのろくに労力を使わず遊んだり読んだりできるコンテンツを選べるので心理的にはスマホに流れるのはある意味自然の摂理かもしれない。

 

 しかしながら、現代人がスマホをあたりかまわずいじくっている姿を見ると、まるで中国最後の王朝の清王朝の末期のように思えてくる。

 清王朝は外国から阿片が入ってきて誰でも阿片が吸えるようになってから、国民が思考力を失い一気に国力が低下し、その結果欧米諸国や日本に蹂躙された。

 現代日本を見ていると、まさに清王朝の末期と酷似しているとしか思えないのである。

 例えば、一番わかりやすいのが携帯ゲームである。携帯ゲームそのものはゲームウォッチからあったが、スマホのゲームはゲームウォッチとは比較にならないほど視覚などの感覚を刺激する。で、固定式ゲームより労力も思考力も使わないのでいつまでもやっていられる。少なくとも、プレステなどはまず家にいないとできないし、コードなどを繋げないと遊べないが(最も固定式ゲームでも何十時間とやってしまう依存症も相当数いる)、スマホゲームは画面を1~2回叩けば簡単にできる。そして、ゲームをより楽しむには課金をしなければいけない。で、課金は大抵が後払いなので金を払っている感覚がない。そしてとんでもない請求額がくる。これは、クレジットカードの使い過ぎと変わらない。

 

 次にスマホにくぎ付けになるのがやはりLINEやSNSであろう。LINEはチャット機能があるので、それをやっているとつい本当にしゃべっているような感覚に襲われ、相馬穂に気を取られてしまう。それから、こちらが送った文章が相手に読まれているのにいつまでも返信が来ない(既読スルー)があると無視されているんじゃないかと思ったり、逆に自分か読んでさっさと返信しないと相手に嫌われるんじゃないかと思われて無理無理即座に返信しなくてはならないと思ってやはりスマホにしがみつく状態となる。

 

 これらの症状は阿片と似ているのではないだろうか?阿片も一度吸ってその気持ちよさを知ってしまって次から次へ利用して結局廃人になるまで手放せなくなってしまう。スマホも手放せないという点においては、阿片と共通しているものがある。

 

 あと、スマホの厄介なところは、ゲームもそうだが情報が無限に近い状態で入ってくることだ。それも無料で。新聞や週刊誌は金もかかるし、情報も紙面に書かれた以上のものは絶対にわからない。ところが、スマホは課金さえしなければ、情報は只で無尽蔵に入ってくる。しかしながら、人間の脳はそんなに一度に情報処理はできない。そうして、頭が情報の渦に巻き込まれて思考がパンクしてしまう。その結果、紙媒体では普通に読める文章さえ読めなくなってしまう。それが進むと、書籍すら読めなくなってしまい、その結果物事を考えられなくなってしまいガセネタですらない情報ですら真に受けてしまうのである。

 そうして、国民の財産は外資自民党にどんどん侵略されて気が付いたら丸裸にされていたなんてことになっているのである。

 歴史は繰り返すというが、中国の歴史が日本で繰り返されるとは思わなかった。