超激辛非国民ブログ

1億回閲覧されても絶対にテレビには取り上げられないブログです。読むと所謂まともな日本人様は不愉快になります。

自営業者に厳しく大企業は偉い偉い日本人

緊急事態宣言(以下緊事宣言)にともなう飲食店の時短要請に対する給付金でまた自営業者に対する偉そうな罵倒が溢れかえっている。

1日6万円に満たない売り上げの店だけが得するだの、ゴネ得だの焼け太りだの緊事宣言がまた出ることくらい計算しておけだのといった自営業の実態など全く知らないものや、さらに酷いものは知り合いの自営業者は寝てても金が貰えてパチンコ三昧だのといった虚像と現実の区別すらついてないものも多々ある。
たしかに時短要請の給付金で今は束の間のバカンスをしている業者もいるかもしれないが、それの何がいけないんだ。人間は、適度なバカンスがないと労働の再生産なんてできないものだ。本来なら、会社員だって適度なバカンスがなければおかしいのだ。
それに、こんな給付金などいつまでも続くものではない。いずれ政府は感染者数を誤魔化して給付金などいきなり打ち切るだろう。だからといって、客がいきなりコロ助(新型コロナウィルス)前の状態に戻るわけでもない。いわば、給付金は藁のようなものだ。

自営業者を偉そうに罵倒している奴らは、そんなに自営業者が政治家みたいに楽して遊び呆けて金儲けしているとでも思っているのか?少なくとも、年間の売り上げがたかだか1000万で消費税を無理やり略奪されたり、外資のための大店法の改悪で大企業の侵略に晒されている状態がそんなに楽な状況とは思えないが、そんなに楽なら明日にでも自営業者に転職すればいい。政治家は世襲や巨大な組織の後ろ楯がなければ正しい志があっても当選はおろか立候補すら困難だか、自営は金があり書類があれば始めるだけならできる。

それでいて、大企業様とやらには、ひたすら尻尾を振って媚びへつらうのがいかにも組織にしがみつかないと一円も稼げない日本人らしい。
大企業様とやらは、あらゆる偽装や粉飾決算はおろか、原発をおもしろおかしく破壊して放射能をその辺にばら蒔いたり、電車の脱線事故を起こすきっかけを作った日勤教育をごり押ししたり、サービス残業や過酷なノルマを課して過労死させたり、コロ助で業績悪化しても鼻くそ程度の減給しかせず、非正規雇用者を気分で雇い止めしても何ら咎めずにむしろ被害者の労働
者自己責任だー、と罵倒するのだから、世界中からバカにされるのは当たり前である。

いくら、神武天皇よりも偉い偉い大企業様とやらに尻尾振って媚びへつらっても、大企業様とやらはてめえなんざ歯牙にもかけないぜ。そんな簡単なこともわからないんだから、日本人なんて世界最低な民族だな。GHQもこんなバカな日本人を統治するのはさぞかし楽だっただろう。マッカーサーも楽な仕事をしたものだ

#新型コロナウィルス #給付金 #緊急事態宣言

北条氏政・氏直親子に勝る馬鹿親子菅義偉・正剛親子

 かつて、戦国時代には関東を掌握していた北条早雲から続く一族がいて、三代目の北条氏康が名君と言われ20万の上杉軍から領地を防衛したと言われている。

 しかしながら、その息子氏政と氏直は親子で馬鹿であり、豊臣秀吉の大軍が攻めてきたときも氏康が上杉軍から防衛したことを心のよりどころにして、時世も見えずに交戦しようとして家臣と対立して実のない評定を続け(小田原評定の語源)、結局秀吉にあえなく滅ぼされてしまった。

 

 翻って現代はどうであろう。政治家の子どもの大半が只の馬鹿で政治家の子弟でなければ政治家や官僚はおろか、就職もまともにできないその辺の貧困労働者になっているだろう。それは、小泉純一郎安倍晋三麻生太郎河野太郎らを見れば一目瞭然である。

 菅義偉の息子である正剛もまさに只の馬鹿にも劣るチンピラ息子であることは間違いない。SNSで拡散されているあの風貌は本当かどうかはわからないが、生まれてからは金にも困らず何一つ自分の力で成し遂げたこともなく、すべて父親や取り巻き連中に何でもかんでもやってもらっていたのであろうことは容易に想像がつく。

 それだけ見ると、菅義偉が甘やかしてきたのかと思うかもしれないが、私の見立ては少し違う。菅義偉高所得者や猛烈会社員によくある子どもに無関心ですべて奥さんに任せきりで息子と何一つ向き合ってこなかったのであろう。菅義偉は年齢的に男は仕事女は育児と家庭という世代であろうが、それにしても度が過ぎている。

 ここで見えることは、人間を形成するのはやはり家庭での教育である。甘やかしは論外として、菅義偉みたいに無関心で金とコネだけでどうにかしようとするのも駄目だし、巨人の星星一徹みたいなことをするのも問題である。

 まあ、菅義偉は自分の出世のことばかり考え、息子をチンピラにしたことを顧みてもらいたいものだ。

 

 菅正剛は公務員ではないが、法律に抵触する可能性が高いことをやったのだからしっかりと自分のしたことを顧みないといけない。もっとも、こんな恵まれすぎた環境で温室培養された僕ちゃん部長がそんなことを顧みることなんか1無量大数%ないと思うが。

古典も教えない学校教育なんざまさに社畜養成所

 最近、マルクスなどの所謂古典といわれているものが大型書店で平積みにされていたり、古典研究をしている斎藤幸平などの学者の本がベストセラーになったりしているようだ。そして、内村鑑三の「人生、何を成したかよりどう生きるか」が復刊され少しずつ売れているという。

 これは、決して悪いことではなくむしろいいことだと思う。古典というのは、数百年更には数千年前から存在しているものであり、存在しているということは人類に本当に必要とされているものであるからだ。特に、これほどまでに先が見えない社会なら尚更先人に学びたくもなるだろう。

 

 ただ本来はこういったものは全ての人間が学ばなければいけないものなのだが、そうはなっていないのが残念なところである。

 というのも、義務教育のなかでは何一つ教えないからである。日本で古典と言えば大半の国民が源氏物語徒然草程度しか出てこないし、それだって内容よりもいとおかしを現代語にしろみたいなクイズしか問われない。こんなものせいぜい平安時代にタイムスリップしたときに使えるだけである。これでは、テストで高得点を取れば人生勝ち組になれると思っているものでなければ、なかなか本を読もうとは思わないだろう。

 

 しかしがら、肝心なのは書かれてある内容である。古典というのは、どんな時代にどんな国で誰に書かれようと、共通していることは人としての在り方や社会の在り方である。

 例えば、論語や聖書のような思想書はまさに人間として正しく生きるヒントが隠されているし、ソクラテスアリストテレスのような哲学者の言葉は、どんなものでも常に疑問を持ち何でも鵜呑みにするなということが書かれている。

 或いは、マルクスアダム・スミスケインズなどは経済と人間社会の在り方を、マックス・ウェーバーは国家権力は暴力装置であるということまで書いてある。

 特に、マルクス資本論なんて今まさに地球上で問題になっていることがそのまま書かれてある。

 例えば、深夜にまで労働時間を延長するのは労働の生き血を求める吸血鬼の渇きを鎮めるだけとか機械労働は労働者を疲弊させ、人間を機械の一部にするだけとか更には資本主義は、地球を資本家が自分の所有物と思い込み地球を破壊するということまで書いてある。

 まあ、こういったことを学校教育で教えてしまっては、政治家や資本家にとって都合がいい家畜は育たなくなることは明白である。何しろ、政治家や資本家は労働者が余計なことを考えてしまったら自分たちが儲けられなくなるからである。ましてや昨今、労働者は顧客満足だの自己成長だのという名目で自営業者並に考える使い捨て部品であることさえ要求される。マルクスがいうところの労働者は機械の一部という予言さえも超えている。なので、古典というのは学校教育にもっとも邪魔な学問なのであろう。そしてそれはまさに政治家や資本家にとっては成功しているといえるだろう。何せ、こんなコロ助(新型コロナ・ウィルス)禍ですら資本家と政治家はたんまりと儲けているのだから。しかしこれさえも、実はアメリカの思惑通りなことなどである。

 これは古典ではないが、まさにアメリカの思惑を端的に示している言葉を記しておこう。 

 猿(日本人)を「虚実の自由」という名の檻で、我々が飼うのだ。方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけでよい。そしてスポーツ・スクリーン・セックス(3S)を解放させる。これで真実から目を背けさせることができる。猿は我々の家畜だからだ。家畜が主人の我々のために貢献するのは当然のことである。そのために我々の財産でもある家畜の肉体は長寿にさせなければならない。(化学物質などで)病気にさせて、しかも生かし続けるのだ。これによって我々は収穫を得続けるだろう。これは戦勝国の権限でもある。

 終戦時のアメリカ大統領のトルーマンの言葉である。

 

 

  

武藤敬司のプロレスリングノア所属と秋山準DDT所属の意義

  先日のプロレスリングノア日本武道館での武藤対潮崎の死闘からいきなり武藤がノアに入団という驚きのニュースがプロレス界に走り、更に秋山準DDTに入団というまたしても驚きのニュースが入った。

 これは一体何を意味するのだろうか?

現在ノアはDDTとともにサイバーエージェントの傘下に入りながら団体を運営しており、経営を担っているのはDDT高木三四郎である。これはいずれも高木三四郎が描いたものではあるだろうが、おそらく両団体のこれからを支えていくレスラーたちにより多くの経験を積ませ、新日本プロレスとは完全な差別化を図っていく狙いがあるのではないだろうか?

 最近の新日は、煽りや演出や乱入ありきといったことが目立ち、さらに試合もスピードと見栄え重視な技の応酬が中心でじっくり見せる試合運びといったものがすくなくなってきているように思う。それが今のファンに受けるからと言われればそれまでだが、かつてのストロングスタイルプロレスや王道プロレスを見続けてきたファンからすればやはり違和感がある。今現在、ノアや全日を見ているファンは現在の新日にはないものを見ているのではないだろうか。私はそうである。

 そこでノアとDDTはかつての新日の強さの象徴であり、プロレス界最後の超大物である武藤に白羽の矢を立て、武藤にノアのレスラーに本当のプロレスの強さなどを教えさせて、DDTは馬場さんに直接教わった秋山を通じて王道プロレスを所属レスラーに覚えさせ、そして新日とは違うビジネススタイルで会社を発展させていこうとしているのではなかろうか。

 高木三四郎は、非常に頭がいい人間であることは間違いない。何しろ、DDTのようなわけのわからないコントみたいなプロレスを広げて、キャンプ場や本屋でプロレスという誰も考えなかったプロレスを世に出し、さらに現在新日のトップである飯伏幸太やかつての新日外国人のエースだったケニー・オメガを見出したのである。そして今も、サイバーエージェントを折り合いをつけてネット配信といった今の時代に合わせたメディア展開をしているのだから。

 ノアだってもしサイバーエージェント高木三四郎がなかったら、もうこの世にはなかったかもしれない。そうなれば三沢光晴小橋建太が命を懸けたものすら残らなくなってしまっていたのだ。それが今や11年ぶりに日本武道館で興業ができるほどにまでなったのだ。勿論、その中には潮崎や清宮や丸藤らの奮闘もあるし、特に潮崎は長年の低迷や侮辱に耐えながらも必死に己の信念を貫きやっとI am noahにまでなったのだ。

 

 ノアもDDTもこれからが新たな始まりである。中には罵倒する声もあるだろうが、そんなものには負けないで新日にはないものを提供し、猪木や馬場さんだけでなく強豪外国人やジャンボ鶴田や天龍や長州や藤波や闘魂三銃士や四天王が築きあげたプロレスの火を絶やさないでほしい。そして、武藤や秋山には90年代プロレスをまだまだみせてほしい。

 

 

 

プロレスリングNOAH2021年2/12日本武道館大会を考察する

昨日(2021年2月12日)、プロレスリングNOAHが11年ぶりにかつてのビッグマッチの聖地と言われた日本武道館で試合が行われた。
メインは、現在進行形のチャンピオンの潮崎豪とリビングレジェンドで58歳の武藤敬司GHCヘビー戦で、結果は30分近い死闘の末武藤が勝利した。
これだけ聞くと、潮崎が年寄りに負けるほど弱いチャンピオンなのかと思われてしまうが、長年プロレスを見ていれば、潮崎が弱いわけではなくむしろ武藤が桁外れの強さを持っていることは明白である。それは、58歳とは思えないほどの肉体を維持し、フランケンシュタイナーなど年齢的には明らかに厳しい技を難なく出せるほどの動きができていたからである。
プロレスラーというのは、他のスポーツや格闘技と違ってエンターテイメントに近いものなので高齢になっても病気や怪我をせず体が動けてお客さんを楽しませる技を出せれば何歳になってもできるものだか、それにしても武藤は別格である。何せ、同世代のレスラーは亡くなっていたり(橋本真也)、リタイアしていたり(蝶野正洋)なのにである。更に、他団体の同世代(三沢光晴川田利明小橋建太田上明)だってやはり亡くなっていたり引退していたりもする。
こう考えると、プロレスの神様は最後には武藤に奇跡をもたらしたと言ってもいいだろう。

この結果は、NOAHのみならずプロレス界全体に影響を少なからず与え、またファンにも衝撃を与えたのではないだろうか?
最近は、30歳代20歳代で体重も軽く名ばかりヘビー級なレスラーによる見映えの派手な技の応酬や、乱入や笑いの演出が持て囃されている中で、昔ながらの王道プロレスストロングスタイルプロレスの激闘がたしかにあり、それがお客に喜ばれていたのだ。そして、そんな試合が堂々と行われたプロレスリングNOAHに敬意を表したい。
さて、これからのNOAHだが、武藤がチャンピオンになり当然これからは武藤が狙われる立場になったが、武藤はスポット参戦になるので挑戦者選びも難しくなるだろう。本来はすぐにでも潮崎にリターンマッチをしてほしいところだが、潮崎も1年以上に渡ってコロナ禍の中で過酷な防衛戦を重ねてきたのでしばらくは休むであろう。そうなると、清宮か中嶋あたりが挑戦するかもしれないが、今なお昔と変わらない強さを誇る武藤に勝つのは極めて難しいだろう。しかし、武藤からタイトルを取り返すのは丸藤や杉浦ではダメなのだ。それでは潮崎や中嶋達が真のNOAHの中心にはなれない。武藤に勝たなければ意味はないのだ。生きる伝説を勝負でも内容でも越えなければNOAHに未来はない。

今の潮崎や中嶋や清宮ならそれができると思っている。あれだけ落ちぶれたNOAHを日本武道館大会ができるまで甦らせたのだから。これから、ますますNOAHが楽しみになってきた。

#武藤敬司 #プロレスリングノア #日本武道館
#潮崎豪


AIが発達しても労働者は変わらない

「人間はいずれ労働時間は短くなり、余暇をどう使うかを考えもて余すだろう。」
これは、経済学の父と称されるケインズが労働のオートメーション化を予想した未来像だが、残念ながらこの予想は見事に外れた。

ちょっと前なら人間が行っていたこと、例えば帳簿や文章の作成や駅の改札の切符切りなどはパソコンを使ったり機械の手を使えば時間短縮したり人がいらなくなったりして本来は労働時間は短くなるはずであり、それによって自分の時間が増えるはずである。
ところが、相変わらず労働者は長時間労働を強いられ、過労死や心神喪失といったことが後を絶たない。むしろ、機械の発達によって更に労働の内容が複雑化されてしまっただけである。

これは一体どういうことであろうか?
考えられることは、仕事が際限なく身に降りかかってきて、労働者が機械と同じ仕事量や質を要求されるようになったということであろうか?或いは、営業や企画などのノルマがより一段と過酷になってきたとも考えられる。いずれにせよ、人間の手間を省ける道具が逆に人間の首を絞めているだけの道具になってしまったということである。

そしてそれは、AIが発達しても今度はAIに振り回されるだけで人間の労働はAIに負けないくらい働けという状態になり、ますます人間の労働者は追い詰められていくだけではないのだろうか?
更に、AIの厄介なところは、命令系統がめちゃくちゃな指示を出してしまったら下手をすれば人間を助けるどころか人間に仇なす脅威となってしまうこともあるだろう。極端な話、原発や核ミサイルさえ躊躇なく爆発させたりその辺にミサイルを発射してしまうかもしれない。そのためにマンパワーと称して少しのミスも許されないゆとりがない24時間365日常に緊張状態を労働は要求され、より一層人間がAI以上な高度な煩雑な内容を安い給料でやらされるかもしれない。
パソコンやAIは本来は人間を助け、楽させるために造り出されたものなのに、労働が過酷になったら本末転倒などというものではない。AIによって人間が見えないものの何かによって奴隷にされるならAIなどない方がよい。
AIによって人間が労働から解放されるなど、何処の異次元の彼方の話であろうか。

追記 今回は仮面ライダーゼロワンの紹介です。これは、ヒューマギアと呼ばれるAIロボが人間をサポートする世界で起こる人間とAIとの戦いや共存共栄を問う内容です。

#AI #過労死 #長時間労働 #働き方改革

映画「パラサイト・半地下の家族」から見る富裕層や政治家と貧困層の乖離

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 また菅義偉が国民を愚弄する発言をした。それは、コロ助(新型コロナウィルス)の給付金は出さない、生活保護を受けろというものであった。

 これだけでいかに政治家の感覚は大多数の市井とかけ離れているかが分かる。その他にも、国民に自粛を要請しながら自分らはステーキ屋や銀座の高級クラブで贅沢三昧をしたりとまさにやりたい放題である。或いは、庶民はコロ助に罹っても入院はおろかPCR検査すらまともに受けられないのに、自民党の政治家は簡単に入院ができたりする。

 その他にも、安倍政権時も西日本豪雨時に安倍晋三らは贅沢三昧をして遊び惚けていた。

 何故、これほどまでに政治家というのは市井の怒りを買うことだけは神の領域に達しているのだろうか?ヒントは韓国映画の「パラサイト・半地下の家族」にあった。

 

 パラサイト・半地下の家族とは、韓国の貧民家族が主人公でその家族があるきっかけで身分を偽りながらはったりをかまして富裕層の運転手や家庭教師となっていき生活の糧を得るというストーリーなのだが、その中に以下のようなセリフや演出がある。

 ある日に主人公の一家が住んでいるスラム街を豪雨が襲い、一家の住んでいたアパートの半地下の部屋が水浸しになり体育館での避難生活を余儀なくされた。そしてその後、運転手をやっていた一家のお父さんが富裕層の妻を車に乗せていた時にその妻が大雨のおかげで空気が綺麗だ、ということを言った。その時のお父さんの表情には怒りがこもっていた。

 更に、富裕層の息子の家庭教師をしていた主人公一家の娘に重大なことが起こったときも富裕層の主は家庭教師の心配をしないで自己保身のことしか考えてなかった。

 これを見て感じたことは、富裕層の世界には労働者や貧困層は存在していないということだと思った。富裕層にしてみれば労働者や貧困層など人間ではないということであろう。

 つまり、政治家というのは大半が何ら苦労したことがないビニールハウス育ちばかりでかつ富裕層の代弁者ばかりなので、労働者や貧困層が人間であるという常識すらないのだ。だから、生活保護受けろの他にも、カップラーメンが400円だのパートタイマーの月収が25万円などという発言をするのである。存在しないものを分かれというのがそもそも無理な話である。

 こういう連中は、日本の実態経済を描いた映画「万引き家族」でさえM78星雲よりも彼方にあるSFくらいにしか思わないのであろう。或いは自己責任と偉そうに罵倒するだけであろう。

 しかしながら、現在日本を支えているのはこういった働く貧困層なのである。本来なら、こういった人間こそが政治家にならないといけないのに市井の殆どは、立候補すらできない状況にある。立候補するには供託金以外にも煩雑極まりない事務手続きがあり、とても数人でできるものではない。その結果、金も時間を持て余している富裕層しか選挙に立候補できないのである。

 こんな連中が政治をやっていてはこれからはより一層な階層社会が待っているであろう。その前に日本死んでくれないかと本当に思ってしまう。