超激辛非国民ブログ

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SNSをやらないと社会生活ができなくなる

 

 

 先日、エマ・ワトソン主演のザ・サークルという映画を見たが、その内容がとても荒唐無稽なフィクションとは思えずにいる。

 その内容は、エマ・ワトソン演じる主人公があるSNSの運営会社に転職するところから始まり、やがてサイトの企画立案や更新などを担当する業務に就いていくのだが、その先に待ち受けていたことは、己の個人情報はおろか生活さえも衆人環視に晒されて、しかも本人をそれを受け入れて、更に国民さえもSNSで監視しようとする恐ろしいものであった。

 これは、ここ数年で急速に発達したSNSが最終的に行き着くところだと思った。というのも、SNSの普及により世界中の人間が自分の行動や趣味などを地球の裏側に一瞬で配信できるようになった。更に、スマートフォンを誰もが持ち歩くというのもSNSの発展に貢献している。というのも、スマートフォンは今や電話がおまけで動画や写真をいかに綺麗に撮影するかに重点が置かれて通話のことにはろくに触れられていない。言ってみれば、手のひらサイズの映写機を持っているようなものである。そんなもので目の前で起こったことを撮影してネットにつなげてSNSに投稿すればあっという間に地球上に広がる。しかもそれらは路上や電車の中でも手の中でものの数分でできてしまう。

 

 映画の話に戻るが、映画の中でエマ・ワトソンが経営者の前のプレゼンで国民に自社のSNSの参加を義務化しようと言って、経営者は勿論のことほかの社員からも称賛される。そうして、SNSを情報をもとに特定の個人がどこで何をやっているかを晒して悦に浸るのだが、やがてそれは悲劇を生み出す。

 この映画で、私が一番背筋が凍り付いたのは、高々一会社ごときの金儲けに何で無理やり協力させられなければならないのか、ということである。SNSなんて別にやらなくても自分が何も不自由しなければやる必要などないのである。そんな押し付けなど、車を買う必要がないのに無理やり車を買うことを自動車会社と国家権力が強要するものである。

 

確かに、国家権力が国民にSNSを強要するような法律など制定できるわけはないが、もしSNSのアカウントがなければ買い物はおろか住民登録や役所の公的書類の取り寄せ、あるいは運転免許の更新や公共料金の支払いなどのことができなくはならないが、手続きが煩雑極まりなくなってしまったらどうだろうか?殆どの人間がSNSのアカウントを否応なしに取らざるを得ないだろう。それは、国家権力の強制にはならない。

 そうして、SNSにより国民の行動が逐一会社や国家権力に掌握されて、例えば公共料金などをたまたま払い忘れたりしただけで凶悪犯罪者呼ばわりされて社会から抹殺されかねない。それが、日ごろから政治家や財界の悪口ばかり言っている人間であれば、些末な逸脱行為を取り上げられて逮捕されかねないし本来なら国民から批判が来るようなものでも称賛されるだろう。何せ、昨今は4コマ漫画のいたずらみたいなことでも、SNSに晒せば正義の味方月光仮面気取りな聖人君子様とやらが個人を特定して面白おかしく人生を終わらせてしまうからである。

 

 では、どうすればいいか?本来ならSNSなどやらなければいいがそれは難しいだろう。SNSでしかやり取りしていない関係というのもあるからだ。なので、SNSを開く時間を少しでも減らす。そして、限られた人間以外とは極力関わらない。そして、いたずらをあげないということからやっていくしかないだろう。

 

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