超激辛非国民ブログ

1億回閲覧されても絶対にテレビには取り上げられないブログです。読むと所謂まともな日本人様は不愉快になります。

映画バトルランナーは現実となった

 1987年にアーノルド・シュワルツェネッガー主演のバトルランナーという映画が上映された。

 当時は、ただのB級アクション映画でしかなかったが、今改めて見るとアメリカ映画なのに現代日本を予言していたのではないかと思える内容であった。

 その内容はというと、設定は2017年で経済は破綻し資源も枯渇していて、政府は報道と芸術を統制し国民をテレビ漬けにしていた。そのテレビで特に人気があった番組がランニングマンというもので、犯罪者が地下で追跡者をかわしながらステージをクリアすればいいが失敗したら殺されてさらにそのシーンが全国放送されるというデスゲームであった。

 シュワルツェネッガー演じるリチャードは警察官で、デモ隊の制圧に向かったのだが、上層部の射殺命令を無視したために無実の罪を着せられランニングマンに参加させられるという話である。

 

 政治家がテレビ局とグルになって国民を娯楽漬けにしたり、ニュースさえも印象操作だらけにし、国民には何一つ真実を伝えようとしなかったり、特定の人間を晒し物にする演出が多々あるのだが、これは今の日本がそのまま行っていることではないか。

 例えば、政治家と資本家が国民を愚民化するためにテレビ番組を低俗バラエティだらけにしたり、SNSでどうでもいいようなことを配信させたり、あるいは些末な逸脱した人間の人生を面白おかしく狂わせたり時には自殺に追い込んだりということは映画の国民洗脳と酷似しているとしか思えない。

 

 更に、映画の凄いところは、国民に噓八百を信じ込ませるために画像を合成して音声も作り出してリチャードを凶悪犯罪者に仕立て上げてしまうところである。これは、現代でも問題になっているフェイク動画と同じである。ましてや現代は映像作成の知識と映像作成ソフトがあれば誰でもフェイク動画を作れてしまう。こうすれば、証拠などなくても政府が自分にとって都合悪い国民をいとも簡単に犯罪者にしてしまうことができる。

 

 そしてとどめは、犯罪者の吊し上げともいえるデスゲームのランニングマンである。もし、現代日本でこんなデスゲームをやったらどれだけの国民が狂喜乱舞するだろうか。まして、炎上系のユーチューバーやSNS投稿者あるいは生活保護受給者がデスゲームの対象となって追跡者に惨殺されるとなれば余計である。日本人は江戸時代には当たり前だった公開処刑を大喜びで見ていたくらいなので、デスゲームに飛びつくことくらいは簡単に想像がつく。

 

 映画というのはえてして未来を想像して作られるものだが、これほど未来予想が形は違えど実現しているものはあまりないだろう。今だからこそ、バトルランナーはB級アクションではなく未来を予言した映画として評価されるべき映画である。