超激辛非国民ブログ

1億回閲覧されても絶対にテレビには取り上げられないブログです。読むと所謂まともな日本人様は不愉快になります。

社会(自民党と経団連)のせいにしよう

 21世紀になってから、やたらと他人の貧困などの生活困窮は全て自己責任で社会のせいにするな、と偉そうにばとうする輩が増えたが、何故社会のせいにしてはいけないのか?明確に答えられる者を私は見たことがない。せいぜい、そんなの自分で考えろと言うだけなのが関の山だ。別に、社会のせいにしたところでお前のせいだと言っているわけでもないのに、何故そこまで社会のせいを否定するのだろうか?

 答えは極めて簡単である。僕ちゃんは常に体制を決める権力者だと思い込んでいるからである。だから、社会のせいにする人間がいるとまるで僕ちゃんが批判されているような錯覚をしてしまい、権力者気取りで自己責任論を振りかざすのである。

 

 しかしながら、実際生活困窮者に陥っているのは殆どが現代社会の歪んだシステムによるものである。

 何せ、全労働者の4割近くは非正規雇用派遣労働者ばかりになり、今回のコロ助(新型コロナウィルス)や先のリーマンショックで真っ先にクビになるのはこういった労働者だからだ。

 これは、小泉政権下で行われた派遣労働の大幅な規制緩和からである。特に大きかったのは今まで禁止されていた製造業が派遣解禁になってしまったことである。これは、経団連竹中平蔵や働きもしないでもっと配当寄越せとブヒブヒ喚き散らす豚みたいな大株主のわがままに尻尾を振った馬鹿犬自民党がやってしまったことが、のちの日本経済の衰退にも関わってきた。

 それで、経営者の気分次第で失業して再就職先もブラック企業か非正規という究極の選択になれば否が応でも生活困窮になるだろう。今、正社員で生活困窮でなくても、会社なんて3か月先はどうなっているかわからない。突然、株主が変わってブラック企業になるかもしれないし、いつ癌のような病気になるかもわからない。それで生活困窮者になることだってある。

 西村寿行の「君よ 憤怒の河を渉れ」にもこんな一節がある。職業というのは、所詮揺れ動く頼りないものでしかなかった。一つ間違えば、たちまち権力の座からも金銭からも、家族からさえも見放されてしまう。過去は揺曳する蜃気楼となる。

 この一節からもわかるように、皇室ご一家でも世襲政治家や官僚でもない限りはあらゆるものから見捨てられて生活困窮者になることなど造作もないことなのである。こんな簡単なことすらわからないで自己責任自己責任と念仏みたいに唱えるというのは僕ちゃんだけはいかなることがあっても絶対に今の生活が保障されているというバカさを天下に晒しているようなものである。もし、生活困窮者になったら、いかなる役所やNGOにも頼らずさっさと自己責任ばんざーいと喚いて自殺してください。くれぐれも電車に飛び込まないでください。人様に迷惑をかけないようにエベレストにでも行って人柱にでもなってください。答えは聞いてない。

 

 自己責任論が蔓延して誰がいい思いをするかというと、政治家と役人と経団連だけなんだよ。

 何故なら、政治家や役人の仕事は生活困窮者を出さないような社会システムを構築するのが仕事なんだよ。そんなことは、日本国憲法第25条に明確に記されている。そのためには、様々な社会保障制度を制定してそれを実行しなければいけない。しかし、それには莫大な労力や費用を必要とする。しかしながら、生活困窮者が声を上げずに自分を責めて自殺すればそういった働きなど一切せずに怠けて遊んでいられる。 つまり、自己責任論を喚けば喚くほど政治家や役人を楽して遊び暮らせるというわけである。

 

 アメリカでは、うるさい歯車ほど油を点されるということわざがあるが、本来は生活困窮者がうるさい歯車になって油を点されるのが社会保障であり、そうなることが結果t的に誰もが暮らしやすい社会になる。しかしながら、日本はうるさい歯車は即刻排除し、残った歯車にばかり負担をかけているのが現状である。今やその歯車も限界である。歯車が狂えば本体が壊れる。そうして日本は三等国家ですらなくなった。

 国民よ、もっと社会のせいにして政治家や役人を馬車馬のように働かせよう。

 

 

コロ助(新型コロナウィルス)が暴いた人間の本性

 コロ助が地球上で猛威を振るって半年あまり経つが、その間に随分と自分以外の人間を排除することが表面化してきたようだ。

 例えば、マスクをしないでスーパーに入ったり、電車に乗っただけでばい菌を見るような目で見られたり、更にはその電車で咳やくしゃみをしただけで電車を停めて咳した乗客に暴行をしたり、緊急事態宣言期間にちょっと子どもを公園で遊ばせていただけで誹謗中傷されたり、或いは引きこもりで収入だ目減りした腹いせに家庭内暴力が増えたり、しなくてもいい喧嘩の挙句離婚したりといった去年までなかったようなことが日常茶飯事化している。

 

 更に、自分とは全く関係ない芸能人への罵倒も相次いでいる。例えば、沖縄へ遊びに行ってコロ助に罹った石田純一さんを凶悪犯罪者の如く叩いたり、志村けんさんや岡江久美子さんでなくお前が死んじまえばいいんだというまともな人間の発言とは思えないようなものまで飛び交っていた。或いは、山田孝之さんと新田真剣佑さんがやはり沖縄に遊びに行っただけで罵倒されました。因みに、山田孝之さんも新田真剣佑さんもコロ助には罹っていません。そして、先日岩手県で遂にコロ助の罹患者が出たら、早速罹患者の個人情報を特定して凶悪犯罪者扱いが始まりました。

 そして、これからお盆の帰省シーズンでも帰ってくるなと実家から言われている者も相当数いるようです。

 

 これらの事案から分かることは、人間は細菌など目に見えない恐怖を目の当たりにしたときは、常に自分以外の者が自分を殺すのではないか、という根拠のない疑心暗鬼に襲われるということです。これが、自然災害とは違うところです。

 

 2011年3月11日の東日本大震災では、多少は他人への罵倒はあったでしょうが今回ほどではなかったでしょう。なぜなら、地震津波は直接は人を殺さないし病気にもしないからだ。しかも、地震は周囲に物がなければ自分の身体は無害だし、津波は高いところに入れば流されはしない。それに、食料も備蓄されたものがあったし、炊き出しのボランティアもいたので、生活は悲惨なものになったが生き死にまでは考えなくてもよかった。だから、そこまで人間の本性は表面化されなかった。

 

 ところが、今回のコロ助は、見えない敵でしかも隣の人間が持っているかもしれないから、すべてが自分の敵になってしまって僅かでもコロ助に罹っていそうな人間をテレビやネットで見ただけでたちまち牙を向いてしまうのだろう。

 ただそ卑劣なことに、罵倒するのは芸能人など一般人に仕返しできない立場の人間や、誹謗中傷した人間を逆に特定できない人間ばかりを標的にするんだよ。少なくとも、コロ助に罹った暴力団員がネットで誹謗中傷されたという話は私は聞いたことがない。

 

 こういったことからも、人間ってやつは、自分さえ助かればいい。自分にさえ火の粉が降りかからなければ赤の他人がどうなろうと知ったことではない。たとえ日頃インテリぶってマスコミがーと偉そうにぬかしていても、僕ちゃんの耳障りがいいものは出所が胡散臭くても信じるという実に救いのない愚物であるということがわかった。

 このコロ助騒動は、神が人間の本性を剥き出しにして楽しんでいるだけなのでは、と思う。かつて「吾輩は猫である」で人間のバカさ加減を書いた夏目漱石や中国人のバカさ加減を「阿Q正伝」で書いた魯迅もここまで人間が馬鹿になるとは微塵も思わなかったでしょう。

 聖書によると、神は人間の堕落と傲慢に激怒して大洪水を起こし誠実で慎ましい生活をしていたノアの一家に箱舟を造らせて生き延びさせたけど、現代ではノア一族のような人間はどれ程いるだろうか?少なくとも私は神には救われないだろう。神に救われるような生き方などしていないし。

 

#新型コロナ・ウィルス #誹謗中傷 #聖書 #キリスト教 #夏目漱石 #コロ助 #石田純一 #山田孝之 #新田真剣佑 

 

 

 

 

 

杏と東出昌大の離婚を考察する

 やはりというべきか杏と東出昌大は離婚しました。杏としては主役級女優でかつ世界のケンワタナベの娘である自分を差し置いて外の女にうつつを抜かした旦那がどうしても許せなかったのでしょう。まあ、あくまでも憶測ですが。

 

 ただ、今回の件に限らず、芸能人同士の結婚で夫婦の立ち位置が違いすぎると離婚してしまうことは珍しくもないのでしょう。現に、杏は常に地上波のゴールデンタイムで主役を張るほどのトップ女優であることに対し、東出昌大は主役は少ないしローカル映画の出演が多いので、杏としては私が家計を支えているからお前は本当に自分のやりたい出演料の安い仕事ができるんだよ、という気持ちも出てしまっていたのかもしれません。

 で、東出昌大としてはそんな杏の気持ちに嫌気がさしてしまい、たまたま共演して知り合った唐田エリカは自分には優しくしてくれたので、そのままずぶずぶな関係になってしまったと考えられます。

 

 だからといって、東出昌大の不倫を擁護はしませんよ。だだ、もう少し夫婦でしっかりと向き合えればよかったのではないでしょうか。或いは、東出昌大が芸能界を辞めて専業主夫になるという選択肢もあったと思います。いくら子どもが3人いても杏の稼ぎがあれば生活は問題ないはずです。

 

 勿論、芸能人夫婦でも大物同士でうまくいっている夫婦なんていくらでもいます。例えば、故・津川雅彦夫婦や故・勝新太郎夫婦などがいます。ただ、これらは、夫婦が芸能界での立ち位置がほぼ同格だったからというのが大きいでしょう。

 

 今回は、夫婦で格差がありすぎたのが上手くいかなかったのでしょう。杏は、外でばりばり稼ぐタイプなので家で旦那を癒したり旦那に従うようなことはできないでしょう。東出昌大は、ひょっとしたら、亭主関白でいたいタイプだったかもしれません。もしそうなら、そんな夫婦は互いを尊重できないし、尊重できなければ上手くいかないのは当たり前です。

 

 今回の杏と東出昌大の離婚で感じたことは、結婚は所得はもとより身分が違いすぎるとうまくやっていくことは通常以上に困難ということです。ましてや、芸能界という特殊な世界にいると売れていない方が売れている方にコンプレックスを抱いてしまう。特に男がそういう傾向にあります。だからこそ、格差があるときはどちらかが表舞台からフェードアウトするべきなのです。今回は東出昌大が芸能界からフェードアウトすべきでしたね 。田中美佐子深沢邦之夫婦なんて深沢邦之がかなり引いてます。だからこそうまくいっているのでしょう。

 

 まあもし杏が再婚するなら、大して売れていない芸能人か或いはスタッフあたりと再婚したほうがいいかもしれません。そうすれば、旦那は稼いでいる杏には頭が上がらずかつ不倫などしないので上手くいくでしょう。

 

 #杏 #東出昌大 #渡辺謙 #離婚 #不倫 #花咲舞がだまっていない #芸能界 #池井戸潤

 

戦場に行く人がいるからこそ

 何年かに一度、地球上の紛争地帯に行ってそこの武装勢力に拘束されたり殺される日本人が必ずいるが、その時に必ずいるのが大多数の日本人が3度の飯より大好きな自己責任論である。最近ではISに3年以上も拘束された安田純平氏がその対象である。そんなことまで自己責任になったら、戦場のような命がけの取材など本当に誰もいかないだろう。

 そもそも、紛争地域の情報が指一本で鼻くそをほじくりながら安全地帯で呑気に見られるのも、現地へ行って取材をする人間がいるからこそできるのである。取材は決してパソコンやスマホが歩いて行うわけではない。そんな簡単なことも分からないほど日本人というのは馬鹿になったのか?まあ、そういう人間は戦場の地獄をいくらモニター越しに見ても聞いても自分が住んでいる地球上の出来事とは思わず異次元かゲームの世界のこととしか思わないだろう。

 しかしながら、戦争は他人事ではない。だからこそ戦場ジャーナリストという職業に従事する人間は世界中にいるし、そんな人のおかげで戦争を考えるきっかけができるのである。

 戦場の真実を伝えるためには、ときには国家権力に逆らわなければいけないこともあるし、そうしなければ戦争を世に伝えることなどできない。もし、渡航禁止命令にぺこぺこしていたら、戦場の報道はすべてその地域の政府や軍の発表をただ垂れ流すだけである。政府や軍なんて不都合な真実なんて絶対に発表などしないのだから、ときの権力者にどうぞ騙してください、と宣言しているようなものだ。そんな報道はテープレコーダーでもできる。

  

 よく、したり顔で偉そうにマスコミがーとぬかす馬鹿がいるが、ではそんな人間はマスコミに何を求めているだろうか?国家権力の言いなりにただ政府発表を一言一句言うだけならテープレコーダーだけ置いていればいい。テープレコーダーのほうが聞き間違えはしないからな。マスコミがーというなら命を懸けて取材をし、国民に真実を伝えようとするジャーナリストをもっと称賛しろよ。少なくとも、殆どの国民に関係ない芸能人の犯罪や不倫ばかりを垂れ流す芸能レポーターなんぞよりも社会に必要なことをしているのが戦場ジャーナリストや戦場カメラマンなんだよ。

 

 少なくとも外国では国家権力に逆らって戦場に取材をして拘束されたり殺されたジャーナリストを自己責任と偉そうに罵倒する者はここまでいないだろう。野球選手のダルビッシュ有安田純平氏の自己責任論はおかしいと異議を述べていた。

 

 ここからは私見だが、私は戦場の報道でいろいろなことを考えるきっかけを手に入れた。 

 簡単に言えば、戦争が起こるきっかけは何かとか、何故戦場では人は残酷になり民間人さえも面白おかしく殺すのかとか、あるいはその戦闘で自分の年収の数百年分がミサイルを飛ばすのに使われるのかとか、究極はその戦争によってどんな軍産複合体が儲かるのか?といったことである。

 ジャーナリストの真の報道はこれほどまでに人間の思考力を向上するきっかけを与えてくれるのである。私は戦場ジャーナリストを心底尊敬したい

 

 

 

あなたはあなたのままでよい

 21世紀になってから、些末な逸脱をしている見知らぬ赤の他人への誹謗中傷などがやたらと目につくようになっている。内容は貧困労働者やLGBTなどのいわゆる世間で当たり前とされているカテゴリーに入っていない人間への罵倒が大半である。

 昔から、社会から落ちこぼれたりはみ出した人間を偉そうに罵倒する奴らはいたが、ネットの普及によってますます酷くなってきた。

 いずれも共通していることは他人の人権の尊重の欠如であり人間とは常に社会の決まり事を遵守しなければいけない、という権力者の洗脳を脳髄まで受けていることである。

 だいたい、社会のルールなどというのは、権力者が都合よく税金を略奪して労働力を使い捨てして自分たちだけの老後の安定を図るためだけに勝手に作っただけのものである。そんなものに狂信して、すべての人間が全く同じになったらそれはもはや人間不在の世界も同然だ。そんな多様性のない世界など、映画マトリックスの世界ですらない。

 

 シェークスピアは、人生は芝居と言っていた。芝居というのは様々な登場人物がいる。すべてが美男美女で頭が良い完璧な人間だけでは絶対に芝居も映画も作れない。コミカルな人間やダメ人間や犯罪者やホームレスなど様々な役があってこそ初めて成立する。現実だって同じようなものだ。全員が全く同じでは世の中は成立はしない。

 

 そんなこともわからずに他者を面白おかしく排除すれば、排除された人間は精神が破壊されて自分を排除した社会を憎み自分が排除できそうな人間を排除しようとして通り魔などを起こす。あるいは、新幹線でガソリンを被って自殺など思いもかけない行動をする。戦前の津山三十人殺しも村社会からの排除が原因であった。

 

 同性愛者や働けるのに働かない人間所謂ニートなどは昔からいた。特にニートは、夏目漱石の「それから」の中の主人公がまさにニートである。さらに、江戸時代だって旗本の次男以下なんてニート同然であった。

 だが、そんな人間でも正々堂々と大手振って生きていけるのが誰にとっても暮らしやすい社会なのである。

 

 最近、人間を生産性云々等という奴がいるが生産性ってそもそも何だ。そんな答えのないものを得意げに押し付けるな。仮に人間が生きるためのものを作っているのが答えなら、生産性のある人間は第一次産業や医者や薬剤師や運転手やその他製造業こそがもっともそういう人間である。宗教家や哲学者や芸能人や作家やスポーツ選手やくだらないスマホアプリしか作ってなかったり堀江貴文みたいに何を売っているにかもわからない人間など何の生産性もない。これらはいずれも人間が生きるのに必要にないものだからである。ニートやホームレスと本質は変わらない。

 

 先日の都知事選で山本太郎氏は、「あなたはあなたのままでいい」と言った。これは人間が生きる上で一番必要なものだ。山本太郎氏は本当に行き詰っている人間のことをわかっている。こんな人間が落選して、自粛排除おばさんが360万票も獲得するのだから日本人はいかに個人的に気にいらない人間の人権が嫌いかよくわかる。

 

 でも本当に行き詰っているなら試しに性風俗に行ってはどうだろうか?金はかかるが、その時間だけは素のあなたが承認を受けられる。女に抱きしめられたり抱きしめるだけで少しは気は晴れる。女性もレズ風俗を使ってみてはどうだろう?セックスしなくても話を聞いてもらって抱きしめてもらうだけで違うと思う。セックスして新しい自分を発見できればそれだけで世界が広がるかもしれない。

都知事選 #山本太郎 #LGBTニート #多様性 #マトリックス #小池百合子 #政治家 #生産性

 

 

 

木村花と一億総白痴

 先日、人気女子プロレスラーの木村花さんがネットでの誹謗中傷を苦に自殺したが、その誹謗中傷の内容というのが、出演していたバラエティー番組での態度が悪かったということであった。

 私はその番組など知らないし、木村さんへの誹謗中傷の文章も一文字も読んでないが、大体内容など察しはつく。どうせ、正義の味方月光仮面気取りな正義の鉄槌と称した私的制裁のようなものだろう。

 しかしながら、バラエティー番組など台本があり、出演者はそれに合わせた演技をしているだけである。そんな簡単なこともわからない虚像と現実の区別がつかない人間があまりにも多すぎることに空恐ろしさを感じる。

 で、こういう奴らは、プロレスをインチキだの八百長だのと偉そうに見下すのである。確かにプロレスは演出はあるし、何よりお互いの技を受けて成り立つ特殊な格闘技ではあるが、極限まで鍛えぬいた肉体は本物である。

 

 もっとも、こうゆうバカは昔からいた。スチュワーデス物語堀ちえみさんを虐めぬく役を演じた片平なぎささんは熱狂的な堀ちえみさんのファンから石を投げられたし、桜田淳子さん主演のドラマで、桜田さんを虐めぬいた役を演じた三國連太郎さんはカミソリレターを送られました。

 今だと、安田大サーカスのクロちゃんが二股だのいい加減な人間だのと罵倒されていますが、それとて台本かもしれないし、そうでなかったとしても、クロちゃんが社会に何か不利益をもたらしたわけでも、ましてや自分がクロちゃんに被害を受けたわけでもないのに何で偉そうに罵倒されなければならないのか?

 

 かつて、反骨のジャーナリストと称された大宅壮一氏はテレビの普及に対して一億総白痴の時代と言ったが、虚像と現実の区別すらつかない人間ばかりがいると、大宅壮一氏の見解は正しかったと言えるだろう。

 

 更に、現在はより日本人は白痴が進んでいるのは間違いない。というのは、大宅壮一氏の時代はネットやSNSなどなかったから、情報源などテレビと新聞と週刊誌くらいしかなかったが、今はネットが既存のメディアをしのぎつつある。これだけ宝石と隕石と石ころの区別さえつかないものが氾濫している社会では、自分にとって耳障りがいい情報だけを真に受けて自分が聞きたくない情報はたとえ信ぴょう性があっても信じないという思考停止状態になっている。例えば、安倍政権の政治のように誰が見てもろくでもない政治を行ってるにもかかわらず称賛したり、ありもしない在日韓国人特権といった誰が考えてもわかるようなデマですらないようなものでさえどこの誰かもわからない者が書いたネットの文章を耳障りがいいからというだけで真に受けるのだから、呆れて何と表現していいかわからない。もし大宅壮一氏が現代日本を見たら、自分の予想を超えた日本人のバカさ加減に絶望するであろう。

オリンピックは誰がために

 本来ならば、今日(2020年7月25日)は東京オリンピックが開催されていたときである。しかしながら、コロ助(新型コロナウィルス)のせいで延期になってしまった。

 で、森老害やバカ総理安倍や自粛おばさん都知事は来年こそ云々(でんでんとは絶対に読まない)と息巻いているが、コロ助の終息にまるで見通しが立ってない以上、オリンピックの開催など無理であろう。もし、そんな状態で無理やり開催すれば、世界中から罵倒されてボイコットされるだけだ。アメリカや日本がボイコットしたモスクワオリンピックよりも酷いものとなるだろう。

 

 そもそも、オリンピックの意義とは何であろうか?元をたどれば、アマチュアアスリートの4年に一度の晴れ舞台ではなかったのか?だからこそ、参加することに意義があるのではないのか?

 それが、1984年のロスアンゼルスオリンピックあたりから、商業主義化が露骨になってきて、目立つのは広告主や政治家ばかりで、主役のアスリートはメダルを取って広告主の名前を出さないと全くメディアには取り上げられない有様である。プロではないのだから、結果なんざどうでもいいのだ。そもそも、プロを解禁したことが間違いなのである。これだけで、オリンピックの本来のコンセプトから逸脱している。何故、こんな簡単なことを誰も指摘しないのか?やはり、神武天皇よりも偉い偉い大企業様とやらへの機嫌取りか?

 

 そもそも、今回の東京オリンピックは、コロ助があろうがなかろうが継ぎ接ぎだらけのイベントだったのである。 

 ここ数年の酷暑の中、屋外でスポーツを行うのは誰が考えても熱中症などの危険にさらされるのは明らかであり、それだけでアスリートのことなどまるで考えていないことは確実である。だから、マラソンは札幌で行うなどという地方の実情などまるで考えないようなことが起こってしまう。

 

 そもそも、何でオリンピックを夏の暑いときに行うんだ。前の東京オリンピックは10月10日に開会された。アスリートのことを考えれば、涼しい時期にやるのが当たり前だ。それだって、大リーグのワールドシリーズや欧州サッカーのチャンピオンズリーグと被るからということで無理無理夏にずらしたんだろう。それだけで、金に物言わせている連中の傲慢さが出ている。

 

 あと、オリンピックに必ずあるのが審判の判定ミスだが、あれは本当にただのミスなのか?審判の判定ミスで日本が優位に立った場面など見たことがない。明らかに日本代表に勝たせたくないという意思が見え見えである。これだけで、日本は世界中から見下されているのが明白である。どうして日本代表のフロント陣はもっと強く抗議しないのか?場合によってはボイコットをしたっていいはずだ。こんなところにも、日本人特有の白人への犬っころぶりが出ている。その反動で、いつまでたっても中国や韓国を偉そうに見下しているのだから、世界中から愛される大日本帝国が聞いて呆れる。少なくとも、中国や韓国や行き過ぎなところは多々あるが、日本人みたいに卑屈な馬鹿犬っころではない。世界と渡り合える交渉術や意思の強さは持っている。

 

 これだけのことを見ても、昨今のオリンピックはアスリートを国威や企業のためだけの闘技場奴隷としてしか見ていないとしか思えない。

 オリンピックそのものは否定はしない。アマチュアは4年に一度の晴れ舞台のために日々練習をしているのだから。

 問題は、そんな人間をもの扱いする奴らである。今回のコロ助騒動で中止になるかもしれない(個人的にはなってほしい)東京オリンピックはオリンピックの在り方をを考え直すいいきっかけになってほしい。オリンピックの主役はあくまでもアマチュアアスリートなのだから。アマチュアアスリートファーストだ。