権力者に都合が悪いはだしのゲン
先日、広島市教育委員会がはだしのゲンを平和教材から外すと発表した。
これに対して相当な反発があり、今でもSNSなどで論争が起こっている。
はだしのゲンを全て一字一句全てのコマを読めば、これほど平和とは何かとか何をしてはいけないのかということが誰でもわかるのだが、教育委員会はわかりにくいだの時代にそぐわないなどと難癖をつけている。
はだしのゲンに難癖をつけるのはてっきり自民党大好きアメリカと統一教会と経団連命の憂国の士を気取る似非右翼くらいかと思っていたが、教育委員会までもがネトウヨ化していたのかと驚かずにはいられない。
はだしのゲンは確かに原爆の恐ろしさや悲惨さを伝えるものと言われているが、一番の本質は同調圧力や村社会こそが戦争を引き起こすということだと思っている。
主人公のゲンの父親が頑なに戦争に反対していただけで、一家全員が町内会や学校からいじめを受けたり、長男が予科練に志願するように圧力をかけられたりする場面などはまさに同調圧力の象徴的場面である。
そして、ゲンの一家をいじめぬいた町内会長は戦後はころっと手のひらを返して戦争は自分は反対していたんだといけしゃあしゃあと言ってる場面などは責任転嫁の象徴である。
こういった場面から見てもわかるように、戦争を承認するのは国民でもあるということこそが戦争をしない社会を構築するということである。はだしのゲンを教育の場から排除するということは権力者が戦争を起こしたくてたまらないということである